【睨む】

 R先輩は、霊運がない。
 いわゆる「男/女運がない」と同義で、タチの悪い浮遊霊や動物霊からは好かれ、守護霊や土地神などの善い霊からは嫌われる。(ちなみにR先輩、男運のほうもないらしいが、それはまあ別の話だ。)
 真夜中に左手が痛いので起きたら歯型が付いてただの、無人のホームで背中を突き飛ばされただの、玄関を出た瞬間カラスがこめかみ目がけて突っ込んできただの、「ツイてない」エピソードには事欠かない。いやある意味でツイているとも言えるか。運ではなく霊が、だが。
 ただ、私はそんなR先輩の受難を、実際に目の当たりにしたことはあまりない。四六時中、意味もなくR先輩のまわりをうろちょろしている私がなぜそんな光景を見かけないのかというと、それは私の守護霊のおかげなのである。
 なんでも私には強力な守護霊がついていて、悪霊のたぐいをよせつけないらしい。R先輩の「霊を引き寄せてしまう体質」よりもその力は強く、私が傍にいる限り、R先輩にちょっかいをだそうなどという根性のある悪霊は、まあいない。せいぜいが半年に一度、いるかいないかくらいだ。
 私自身は霊感こそあれ、その守護霊のおかげで悪霊に害されることなくすくすく育ったので、霊に関する認識は(R先輩曰く)甘い。純粋な興味から「霊障って体験したことないんですよ、どんな感じなんですか?」と一度R先輩に尋ねてみたことがあるのだが、それこそ悪霊のような顔で睨まれたのでそれ以来触れていない。
 とまあそんな私だが、だからこそR先輩と仲良く出来ているともいえる。
「というわけで、本日はそんなツイてない先輩に、いいものをお見せしようかと」
「ろくでもない予感がひしひしとするけど」
 半眼で言いながら、R先輩は湯のみのお茶をずび、とすする。
 ここは、住宅内の只中にあって、歴史を感じさせる佇まいのとある一軒家。のどかな昼下がりの日差しの中で、私とR先輩は縁側に並んで腰かけ、お茶を頂いていた。
「ろくでもなくないですよー。むしろ幸運を呼ぶと評判なんです」
「こううん……ああ、田んぼで農家のおじさんが乗ってるやつね」
「言葉の意味すら……」
 敬愛する先輩の不遇に涙する私の横で、R先輩はお茶菓子のようかんを口に運ぶ。
「それにしても、意外に古風な家なのね、あなたの実家って」
「え、ここ私の家じゃないですよ?」
「は? ……じゃあ、さっきお茶出してくれたお婆さんは? 親戚の方?」
「いえ。先日、野良猫を追いかけていったらこのお家に着きまして、お婆さまにお菓子をごちそうになったんです。それからちょくちょくお邪魔するようになりまして」
「何してんのお前……」
 なぜかどん引きした様子のR先輩。
「つまりここって、赤の他人の家じゃない……私まであんたの厚顔無恥に巻き込まないでよ……」
「……? 友達の家に遊びに行くのって、普通じゃないですか。まあ、それはさておき。このお家にはですね、幸運を呼ぶあるものが出るんです」
「何よ」
 嫌そうな顔で聞いて来る先輩に、顔を近づけて声をひそめ、私は言う。
「なんと……座敷わらしです」
「座敷わらし?」
「ええ。なんでも、この近所では有名な話らしくって。家に遊びに来た人が、着物姿のちいさな男の子を見かけるんですよ。あれ、お孫さんかな、と思ってお婆さんに聞くと、それは座敷わらしなのよ、ずっと昔からこの家にいるのよ……って」
「……私、そういう幸運を呼ぶ系のって、見られたためしがないんだけど」
「大丈夫ですよ。普通の人でも見たって人がいっぱいいるんですから、私と先輩なら必ず見れますって」
「でも……」
「先輩!」
 私はR先輩の手をとり、まっすぐに彼女の瞳を見つめる。
「私と一緒なら、大丈夫です。悪いものは寄って来ません。いつもそうだったじゃないですか。だったら、座敷わらしにだってきっと出会えます」
「……う、うん」
 顔を赤くして目をそらしながら、R先輩はうなずいた。
 その時、縁側から続く座敷の、奥の襖がかたり、と音を立てた。私と先輩が二人揃って振り向くと、座敷の向こうの廊下に、紺色の着物姿の、5〜6歳の男の子が立っている。
「せ、先輩……あれ」
「うん。ほんとに、いたんだ……」
 隣りのR先輩と小声でささやきあう。座敷わらしの少年は、襖の陰に隠れるようにして、じっと私たちをうかがっている。
「聞いたところによれば、座敷わらしは目が合うと、にこって微笑んでくれるらしいんです。その笑顔を見ると、数日以内にいいことが起きるとか」
 言いながら、私はちらりとR先輩の顔をうかがう。先輩は真剣なまなざしで、座敷わらしを見ていた。
 霊や妖怪、この世ならざるものたちは、悪いばかりではない。私はそう考えている。R先輩に言わせれば甘い考えなのかもしれないが、それでも私はR先輩に、霊に関わることで良い思いをしてほしかった。霊感なんてあっても悪いことばかりだと、そう思って欲しくはなかった。私の力が、少しでも助けになれば……
 と、先輩が小さく、「あっ」と声を上げた。
「笑いましたか!?」
 私は座敷わらしに視線を戻す。
 表情は変わっていたものの、それは笑顔ではなかった――凄まじい形相で、座敷わらしはR先輩を睨んでいた。人間には不可能なほど顔を歪めたその表情は、別の妖怪がそこにいるのかと錯覚するほどだ。
 座敷わらしは、数秒ほどR先輩を睨んでから、廊下を去っていった。
 私とR先輩の間に、気まずい沈黙が流れる。しばらくして、先輩がぽつりとつぶやいた。
「……私の実家で、同じ表情の子供を見たことがあるわ。いつもああやって、物陰から私を睨んでは去っていくから、そういう妖怪なんだと思ってたけど……そっか、座敷わらしだったんだ。あれ」
「そう、ですか……」
「ま、いいけど」
「あの……なんか、すみません」
「いいのよ。本当に」
 静かにそう言って、R先輩はすっかり冷めているだろう緑茶をすすった。